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安久詩乃選手独占インタビュー「長く、壮絶な戦い」

       
選手インタビュー

「日本代表候補」・安久詩乃(あぐ うたの)。この1年ほど、“あぐちゃん”の名は日本中を駆け巡り、アーチェリーに触れたことのない人たちまでもが彼女の存在を知ることとなった。
リーダーとして同志社大学チームを率い、王座を制覇。選考会では日本記録のペースを大きく上回る70m 347点を記録。全日本室内では男子優勝点を上回る好成績で準優勝。最終候補まで登り詰めた。
2020年、安久詩乃は間違いなく強かった。だが、彼女が「日本代表」として東京に立つ日は訪れない。
2021年春、東京。そこにあったのは、あの日涙に震えた少女の小さな背中ではなかった。今回、選手として、社会人として新たなスタートを切ろうとする彼女に、当社ではおよそ1年ぶりとなるインタビューを敢行した。これは安久詩乃のあまりに長く、壮絶な戦いの記録である。(インタビュー:加藤 健資 本文:服部 亮)

わたしにもチャンスがあるんだ、って

選考会、本当にお疲れ様でした。長い長い戦いでした。嬉しかったことだけでなく、つらかったこと、苦しかったことも幾度となくあったと思います。少し踏み込んだことも聞いてしまうかもしれませんが、ご無理のない範囲で答えていただけたらありがたいです。


安久選手(以下同):よろしくお願いします。

2020年夏に予定されていた夏の大舞台の道のりの始まりは、2019年10月の全日本ターゲット選手権でした。
この大会で安久選手は出場権がかかった予選ラウンドで641点を射ち、6位で通過しています。この時点ですでにその先の東京を意識していましたか?

意識は……してたと思います。
ただ、わたしは世界大会の経験がそれほど多いわけじゃないので、そこに向かって頑張ってきたかと言われるとそういうわけでもなくて。
なので当時はほんとに「自分にもチャンスがあるんだ」ってくらいの感覚でしたね。

その後11月に予選ラウンドを上位で通過した16人から、12人に候補を絞り込む1回目の選考会がありました。
安久選手は1日目が1285点で11位、2日目が1310点で4位。この選考会のあとでUnitubeで取材をさせていただきました。

とても緊張したという全日本選手権のエピソードが印象に残っています。反響はありましたか?

いろんな方から「Unitube見たよ」って言ってもらえました。お知り合いの方はもちろん、それまであまりお話ししたことのない多くの方からも。
出身校以外の中学生、高校生とはあまり交流を持ててなかったんですけど、そういう子たちからも声をかけてもらって、すごく嬉しかったですね。

Mってるんですよ、わたしあのとき

3月6日から7日にかけておこなわれた2次選考会では1日目1206点で5位。非常に強い風が吹くなかでの戦いでした。

あのときは、選考会前日まで調子を落としているなかでの選考会でした。
だから、直前に射ちかたを変えたってほどじゃないんですけど「ふわふわしてたのを無理矢理固めた」みたいな、そんな状態で。
そんなときに出たので、風があったことで逆に思い切れた部分があったのかな。あれだけの爆風じゃなかったら通ってなかったと思います。

周りの選手が風に翻弄されているなかで、安久選手は攻めて射てたという部分もあったのでしょうか。

うーん……、みんなが良くなかったからっていうのは少し違うかも。
きっと、あのまま「調子が良くない」っていう気持ちで選考会に臨んでたら、委縮してしまって自分の射ちかたができなかったと思うんです。でも、風が強かったらそういう不安よりなにより「思い切って射たなきゃ!」という意識が先行するじゃないですか。それもあって、自分に集中して射てたのかなって。
あまりに自分に集中できていたので、終わって結果が出るまで自分の順位も分かってなかったくらいでした。

翌日は1260点で3位でした。

2日目に入っても、前日の「自分に集中する」っていうのをそのまま維持できていました。
ただ、プラクティスのときに……いや、プラクティスって言わないな、何でしたっけ。

公式練習?

あ、公式練習か。そのとき2本M(0点)射ってるんですよ、わたし。選考始まる前の45分間で。

え、公式練習中に!? それはその2日目のときにってことですか?

そうだったと思います。それでなんで不安な気持ちにならなかったのか、わたしは今でも謎なんですけど。
もともとクリチョン(クリッカーチョンボ。クリッカーが正常に切れないまま射ってしまうミスショットのこと)してしまいそうになることが多い時期で、それが不安要素でもあったんですけど、それでも(選考会中は)不安にならなくて。なんなら選考会中もやったんですよ、わたし。

Mを射ったってことですか?

いや、Mまでは行かずに4点かなんかで止まったんですけど、そのときも監督さん(同志社大の道永宏監督)と2人で「やっちゃったねー」って。

重くは受け止めずに。

そう。重くはなかったですね。監督さんも「いいよいいよ、大丈夫大丈夫」って言ってくれてたので、自分も「1本やっちゃったし、次から切り替えてこー!」って感じで。
途中の順位とか(他の選手との)点差とか、下の(スコア)ボードも他の人の分見てなかったし、そのときは全然気にならなかったです。

選考会のときって毎エンドでボードの点数変わってくけど、気になりませんか? 全然見ないです?
(※通常の大会とは異なり、選考会ではトーナメントのように各選手前にスコアボードが設置され、エンドごとに合計点が更新される)

見ちゃうときは見ちゃう。点数も最初のほうは特に分かりやすいじゃないですか。
600何点とかまでだったら、普段の点数のイメージとか、他の選手と何点差がついてるかとか一目で分かるから気にしちゃう。
けど後半になって1200何点くらいまで数が大きくなってくるとだんだんパッと見で分かりづらくなってくるから、そうなるとあまり気にならなくなります。

王座は特別で大切な試合。それはオリンピックと同じくらいに、です

練習はずっと70mが中心でしたか?

ずっと70mで練習してました。ショートハーフ(50m・30m)は部全体で点取りするときだけ射つ程度でしたが、リーグ戦に向けても安定した点数は射てていました。
ただ、わたしは女子リーダーだったので、リーグ戦と王座の優勝という目標は、わたしのなかではオリンピックと同じくらいに大きなものでした。

そこに向けて「チームのみんなと一緒にショートの練習もしなきゃいけない」「女子リーダーとしてチームに貢献しなきゃいけない」という気持ちも日増しに大きくなっていきました。
あのころが精神的には一番しんどかったかもしれないですね。

その後、新型コロナウィルス感染症の影響でリーグ戦の中止が発表されました。
同志社を背負う女子リーダーとして、また、選手として夏の大舞台を目指す身としてどんな心境で日々を過ごしていましたか?

練習場は閉鎖されてしまったので、家で近射していました。本数としては1日200から300本くらいでしょうか。
それまでリーグ戦に向けてチーム一丸となって頑張ってきたところに、突然そんな状況になってしまったので、ひとりきり練習するつまらなさはあって。張り合いのなさというか。
練習してはいるけど、漠然とただ射っているだけの自分に気づくこともありました。

でもリーグ戦は中止になったけど、そのとき王座についてはまだどうなるか決まっていませんでした。
わたしにとっては王座の存在が本当に大きくて大事で、王座のことを考えたらモチベーションが下がることなんて考えられませんでした。

そして迎えた王座本番。中継の映像を見ていて、2月に取材させてもらったときのと比べて、こう……失礼ながら、めちゃくちゃ線が細くなられたなぁ、という印象を受けたんですが………。

それは正直ほんとに褒められたものじゃないんですけど、王座前にカクンと(体重が)落ちたんですよ。全然ごはんが食べられなくて。
王座に対しての想いが強すぎたんですよね。本番2週間前あたりから一気に体重が落ちました。よくあの状態で弓引けたなぁってくらい。

何キロ落ちたのかな……。たぶん4、5キロ? 見てわかるレベルだったってことだから……。
練習は詰めてやってたんで、そこまで筋肉や体力が落ちてたってことはなかったし、ヒョロヒョロだったからってそこまで競技に影響があったとは、あんまり思ってないですけど。

やはり女子リーダーとして迎えた最後の王座には特別な想いがありましたか?

特別でしたねー……すごく。
たぶん周りの人からしたら「なんでそんなに?」ってなる部分もあると思うんですけど、大学生はみんなそう(王座への強い想いがある)なんじゃないかな。

予選ラウンドは652点で2位でした。1位が近畿大学の山内梓選手で3位が同じく近畿大学の大橋朋花選手。
おふたりも安久選手とともに最終選考に進んだ選手たちです。山内選手と大橋選手へはどのような印象を持たれていますか?

大橋とは中学生のころからアンダー(U17やU20ナショナルチーム)のメンバーだったりとか、なんだかんだずっと一緒にやってきました。だから大橋の強さはわたしもよく知ってるし、お互いに近い存在でした。
山内のことは大学に入ってから知り合ったんですけど、試合や選考会では同的になることも多くて、今ではプライベートでも連絡を取り合う間柄です。

やっぱり本番が延期になって、つらくてしんどい気持ちってみんな一緒だったと思うんですけど、そのたびに3人で「がんばろうね」ってお互いを支えあっていました。
大橋と山内は(代表候補の)なかでも近い存在だったので、オリンピックの話をすることもよくありましたね。

「絶対優勝できるよ!」言ってる本人はめちゃめちゃ不安でしたからね(笑)

昨年は上原瑠果選手が同志社大に入学。高校時代から世界で活躍している選手です。1年生ながらチームメンバーとしてともに王座で戦いました。
精鋭揃いの同志社チームですが、王座制覇に向けて心配な面などはありましたか?

上原はもう可愛くてしかたないですね!
チームの子たちには「絶対いけるよね!」「何も不安ないよね!」みたいな話を、やっぱりリーダーだったのでしてたんですけど……内心はめちゃめちゃ不安で!(笑)
1年生のメンバーはリーグ戦も中止になっちゃって経験できてないし、当然王座も初めてだったので。やっぱり王座って独特な雰囲気があるじゃないですか。
「予選で1位獲っても優勝できるわけじゃないし、気楽にいこー!」とか声かけしてたけど、わたし自身は全然そんなふうに気楽には考えられなくて!

結構必死でしたねー。
でもチームのみんながいたから、わたしもその必死さを上手く誤魔化してたし、それで自分自身も結構誤魔化せてたので、試合中は楽しい気持ちのほうが強かった。
ほんとにみんなのおかげだなぁって思います。

決勝の最終射。あのX(10点の中心)は僕自身今でも目に焼きついていて、多くの人にとっても記憶に残る一射なんじゃないかと思います。
風が強い試合だったけど、あの一瞬だけは風が止んだようにすら見えました。
同志社の代表として最後にあの1本を射ったとき、どんな想いが胸にありましたか?

ありがとうございます。いや、ほんっっっとに緊張してて!(笑)

堂々としていたので、全然そんなふうには見えませんでした。

ヤバかったですね、ほんとに。この一射で今までの全てが決まるんだって。
すっごく緊張してたんですけど、それをなんとか抑えて、とにかく早く射とうと思ってました。持ってたら(弦を離さずに狙い続けていたら)もう絶対緩むから。引き込んだら「早く射とう早く射とう早く射とう」って。
あとはうしろから声かけしてもらってたのでそれを聞いて。

極度の緊張のなかではありつつも応援は聞こえる状態だったんですね。

もう「聞こう!」って思って(笑)
緊張でしたねーほんとに。あとはみんなからもらった勢い。

チーム同志社として男子も女子もすごく勢いがついてましたよね。
3位決定戦で勝利した男子チームも本当に良い雰囲気で波に乗っていた印象があります。

あの勢いを最後まで殺さないようにしようって。何点射てば勝ちだとか一切考えてなかった。

8点で勝ちだったのかな? でもストレート勝ちでしたよね。2ポイント対0ポイント、4ポイント対0ポイントときての、「最後そこで決まるか」という流れ。

はい。でもあそこでもし外して流れが変わって、ポイントをとられたらアウトだと思って。
その前の対戦で4ポイント先取してたチームが、最後の最後に外してしまったことで急に流れが変わって敗退してしまう、ということがありました。

確かに、「あと一歩」のところから逆転負け、という展開はアーチェリーではよくあります。

はい。その場面が頭にあったので、この流れを殺さない一射にしようと思いました。

ただただ、射つのが怖かった

そして11月におこなわれたナショナルチーム選考会、オリンピック最終候補の5名はオープンでの参加でした。
1日目の前半に347点を射ったときには、日本新どころか世界新更新くるんじゃ!? とまで言われましたが、あの試合は安久選手にとってどんな試合でしたか?

肩が不安な状態だったので、監督さんにも「午前中だけとりあえずがんばってね」って感じで言われていました。それで「とりあえず午前中は頑張ろう」と、始まるまではそう思ってたんですけど……。

ほんとに射てなかったんですよ、あのとき。1本目が。

痛かったのは引き手の肩なんですけど、もう肩がどうとか関係なく、純粋に射つのが怖かった。
タイマーを見て、カウント90秒前になったらようやく射てる、みたいな状態でした。
「そろそろこれ射たないとヤバいぞ」って思えるまで射てなくて。最後に無理矢理ババババって6本射つみたいな。
自分でも「これはいつか崩れるぞ」って思いながら射っていました。

後半は300点でした。

347点を射ったことをみんなすごいって言ってくれたけど、自分のなかでは必死に射ってるだけだからなんにもすごくない。
これは実力で出した点数じゃないなーってずっと思ってました。
だから、自分としてはあんまり嬉しさはなかったです。

肩を痛めたのはいつごろですか?

アメリカに行ったときなので………2018の2月とかかな。
痛いというよりは突然肩が外れそうになるっていうか、中の筋が、突然こうガクッて緩んでしまいそうになるんです。
そのころから症状が出たり出なかったりをずっと繰り返してて。で、10月の全日くらいから射つのが怖くなって「射てないなぁ」っていうのがあっての11月(の選考会)でしたね。

「わたしもう大丈夫なんだ!」って、そう思っていたんです。その瞬間までは

肩に不安を抱えながら迎えた最終選考会。それまでの期間を振り返っていかがですか?

最終選考会までの最後の1ヶ月が本当に自分のなかでもずっとピリピリしてて。
いろんな人に「安久ちゃんらしくないよー」とかって言われたんですけど、わたしからしたらもう「わたしらしいって何!?」って。「ニコニコ笑ってたらわたしらしいの?」みたいな。
だんだんそんな感じの、ほんとにもう反抗期みたいなんですけど(笑) そんな気持ちばっかり浮かんで。

いざ最終選考会に行って、午前中がずっと練習だったんですけど、ここ最近で一番調子良かったんですよ。めっちゃあたるしめっちゃ感覚もいいし。
それで「これならいける!」って思ったんですけど、最終選考始まった瞬間に全く射てなくて。

11月の選考会のときと同じで、90秒前あたりまで(シューティングラインに)残ってるような?

そうですそうです。で、話戻っちゃうんですけど、その11月の選考会でほんとに射てなくて、途中で監督さんにも「射つのやめていいよ」って言われてたんですよ。
「このまま無理に射って怖いって意識を持つくらいなんだったら、オープン参加なんだし、午後は射たなくていいよ」って言ってくれたんです。「そういうわけにはいかないよね……」って思って、結局は射ったんですけど。
2月の全日インドアでは、「点数は出さなくていいから自分のリズムを掴んで」って監督さんに言われてました。

全日本室内(インドア)では581点で1点差の2位。優勝は後輩の上原選手でした。

そのころ「怖いって思わずに射てる感覚を戻そう」ていうのを自分のなかでは目標にしてたんですね。それが全日インドアでは結構できたんですよ。
点数も良かったですし、「あ、戻った! わたしもう大丈夫なんだ!」って、そのときは思ったんです。

なのに、最終選考に行ったらもう全然で。
それで1エンド目に全力で緩んで4点射って、48点スタート。
それでもいつもだったら、それこそ2次選考のときもそうだったんですけど、1本4点とか射ったらそのあとは「もうやるしかない」って思って逆に攻めて射てるのに、もう全然………。

その4点のミスがもう離れないし、頭のなかで自分が緩むイメージしかできない。
怖くて怖くて射てなかったですね。

そっか……なるほど……。重かったし、つらかったですね………。

つらかったですねー……。
「わたし落ちたんだ」って悲しみは大きくて、すごく泣いてしまったんですけど、でも同時に「やっと終わったんだ」って気持ちも恥ずかしながらあって……。
長かったなぁ……つらかったなぁ………。
そんなふうに、開放されてちょっと安心してしまう自分がいました。

社会の役に立ちたいし、そういう自分でありたい

この春から新たな環境での生活がスタートします。様々な選択肢があるなかで株式会社堀場製作所様に決めた理由を教えていただけますか?

わたし、“アーチェリーだけ”をしたくなかったんですよね。
もちろん試合前にはアーチェリーに集中したいので、そのためにお休みをいただいたりとかはあると思うんですけど。
やっぱりいち選手ではあるけど、いち社会人としても社会の役に立ちたいし、そういう自分でありたい。

もちろん競技メインでやらせてもらう選択肢もあったと思うんです。でも、仕事もして、競技もして、そうして仕事とアーチェリーが互いに良い影響を与えられたら、それが一番だなって。
それが実現できる場所だと思ったので、こちらにお世話になることにしました。
受け入れてくれた会社には感謝しています。

1年延期になったことで、間を開けず次の選考が来年の10月には始まりますが……もう夏の大舞台を目指すのは疲れてしまいましたか?

思った以上に重かった、というのは正直な気持ちです。
今回は自分の覚悟が足りてなかったし、それだけの器もわたしにはまだなかった。
こっから(次の選考まで)1年とちょっと、いろんな試合に出てもっと経験を積みたい。コロナのことがあるので、あんまり全部が全部にはならないと思うんですけど。

社会人になって考え方も変わっていくと思うし、自分のアーチェリーに対して責任も出てきます。これからは全部自分でやっていかないといけませんから。まずはそこに慣れることですね。
やりたくてやってることなので、アーチェリーが「やらなきゃいけないこと」にならないようにしたいとは思ってます。

世界の舞台で戦っていくために

最後に、安久選手の今後の目標を聞かせてください。

次のオリンピックまでに、世界で通用する選手になることです。
今は海外の試合に行っても結局結果も全然残せないし、「出て終わり」という状況がやっぱり否めない。
今回はやっと日本のなかで5人(の候補)に入れましたけど、結局海外の試合には参加できていません。そういう意味ではやっぱり世界って括りのなかで成長はできてないと思うので、そこが目標ですね。

このたびは貴重なお時間、お話をいただきありがとうございました。